あの日から10年。時の流れをとても早いものだと感ずる。
グラグラと揺れたあの時間、ちょうど私は近所の路上を歩いていた。
あの日は、小学校で何かの集まりがあり、かみさんが出席していて、子供たちも学校にいた。
突然の揺れで、鉄道がストップし、帰宅困難者が続出したが、我が家はたまたま家族が全員地元にいた。
昼過ぎまで、ごく普通のいつもの日常が継続していたのに、あの揺れによって、いつもの日常は消え失せ、特殊な、今まで誰も経験したことのない極稀な日常が始まってしまった。
報道で、10年前にあった地震にまつわる数々のドラマを知ることが出来る。
私には途轍もなく強い地震は、ただただ恐ろしかっただけで、それをきっかけに何かをやめるとか始めるとかの行動は特に起こしていない。
10年前の自分は、酒に親しみ、酒の中で生きていた。
それが今では、こうして日々、断酒のブログを書いて、酒を己から突き放している。毎日毎日、断酒の素晴らしさ、飲酒の碌でもなさ、について書き、酒を毛嫌いしている。
毎日、酒を突き放すための、まとまった量の文章を書いているが、それによって、酒は自分に近寄って来ない。私がしているのは、酒に付け入る隙を与えないこと。これが肝要である。
毎日酒を突き放すには、色んなやり方があることだろう。私のように、世界中の誰でも閲覧可能な、ブログと言う媒体を使い、毎日酒の突き放しを実践する。
これは私がやって来て、その効果は抜群だと感じてる。が、これ、断酒と同じで毎日継続しないと、その効果は薄れる。
やってみると分かるが、日記ではなくて、日々同じテーマで文章を綴り、必ず公開すると言う作業は、傍から見るほど簡単ではない。ついつい休みたくなるのは、四の五の理由を付けて飲酒再開したくなる断酒初期の頃に似ている。
ブログのネタについては、無意識の内に脳が求めているようで、ラジオからの情報でも酒がらみの話題が盛り込まれていれば、すぐに耳に入る。その情報の有益無益によらず、脳ではじっくりと聞き、判断を下している。
一日に一度、きっちりと酒と訣別する。断酒が継続していたとしても、断酒から何十年経ていようとも、あの諸悪の根源の酒を毎日思い起こし、断酒への誓いを更新し続ける。
毎日酒を己から突き放す。油断すると、或いは、警戒していてもいつの間にか、酒がすり寄って来ているかも知れないから。
これによって、酒はますます自分から離れて行く。
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