8年前、断酒を始めた頃は、酒を飲まない生活の良さに日々驚いていた。
苦しさはあれども、酒無しの日々の快適さが、それを遥かに上回っていた。
日々その変化をブログで発信し、毎日の記事にコメントやメールで応答してくれる、同じく酒を断った仲間との交流がとても新鮮であった。
自分が断酒で得た快適さを、自分だけのものにしておくのは、絶対にダメだ。
もっと多くの酒に囚われた人にこの断酒の快適さを知ってもらい、断酒生活を楽しんでもらおうと、メルマガやらZOOMの会やらオフ会やらの活動に勤しんでいた頃もあった。
私の断酒の日々が積み重なるに連れ、酒を飲まない生活が当たり前になり、断酒を広めようと言う情熱が冷めて来た。
それで今や、私の断酒に関する発信は、こうして淡々と就寝前に断酒ブログを綴ることのみに収斂された。
さて、2021年の年が明けたと思ったら、あれよあれよと言う間に、もう4月も半ばに入ろうとしている。
そろそろ人生の終盤に入って来た私は、これから先のことを考えることが多くなった。これから先の更に先は、この世とのお別れである。終活に向けて、あれやこれや考えることが多くなった。
酒なんぞ飲んで酔っ払っていたら、何も考えられない。
酒のことなど日中は丸で考えていないことは確かだが、一方でこうして就寝前に酒がらみの事を書いている。
矛盾した行動のように見えるが、実はそうではない。酒を断ってからの日々が長くなっても、酒の問題は自分に内包されており、解決はしていないからだ。
つまり、身体の中に火種を抱えたまま、火から遠ざかっているのだ。
燃え盛る火は、酒であり、火種はアル中であること。火種はいつも燻っており、完全消化は出来ない。そこにほんの少し火勢を強める材料がプラスされれば、一気に燃え広がってしまう。
今日のタイトルの『内包しつつ遠ざかる』とは、そのことを表している。
アル中であるがまま、アルコールから遠ざかる日々。
今では、地球脱出速度で宇宙空間に放たれて、そのままどんどん地球から遠ざかっているような感覚である。
日々遠ざかってるのだが、その距離は、一滴のアルコールによって一気にワープし、発射地点に戻る。ことのことも弁えている。
飲酒問題を内包しつつ酒から遠ざかっていることが断酒の真実である。どんなに断酒について綺麗ごとを並べてみたところで、このことは譲れない。
断酒してから年月が経ち、もう断酒の事はいいとか、語りたくないとか、敢えて意識していないとか言う人がいる。
気持ちは分かるが、いつまで経っても自分がアル中であることの自覚だけは持っていないといけない。
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