今日、大阪でのコロナ陽性判明者の数が、ついに1000人を越えた。
連日、東京の感染判明者数を上回っており、感染拡大に歯止めがかからない。
昨年の今ごろは、緊急事態宣言が発令されてから1週間くらい経っていたが、私の居住地域でも、電車に乗る人が極端に少なく、ターミナル駅も閑散としていた。
あの頃は、多くの人が感染を恐れ、外出を控えていたからである。それが今はどうだろう。慣れてしまったのが大きいが、電車は混み、ターミナル駅は人でごった返している。
何か根本的な対策が打たれないと、このまま感染拡大が続き、日本は相当にヤバイことになってしまう。オリンピックどころではない。とは思いつつも、私に出来ることは、マスクと手指の消毒くらいか。
さて、話変わって、いつもの断酒関連に行ってみよう。
世の中にはおもしろいお祭りがあるものだと、断酒仲間が教えてくれた。
マカオの奇祭、酔龍祭。
毎年、旧暦の4月8日に行われるそうなので、今年は5月19日か。
甕(かめ)に入った酒を飲みながら、木製の龍を持って舞い、無病息災を願うそうだ。
無病息災とは、病気に罹ることもなく、もりもりと元気な様を表した四字熟語だ。
酒は、あらゆる病気の元であり、飲む量によっては、病気を一足飛びに越えて、死へと至る。害悪の根本をガバガバと飲みながら、健康で元気に生きたいと願うわけか。
日本でも、祭と言えば必ず酒が出て来るのは同じで、八百万の神に無病息災の祈りを捧げつつ、酒を飲むこともあるだろう。
酒は諸悪の根源であり、酒は病気の元であることをよくよく鑑みれば、酒を飲んで無病息災を願う事のおかしさが良く分かるはずだ。
祭に堂々と酒が出ているだけで、この世に於ける酒の位置付けについて、端的に示されていることが分かる。この世では即ち、酒は善なのである。
考えてみれば、結婚式やその他のお祝い事でも、酒は参加者に振舞われ、共にお祝いを楽しむようになっている。
穏やかに、結婚式などのイベントが進み、そのまま主人公たちが励まされ、酔いの中でイベントの効果の余韻に浸る。
だがしかし、酒はもろ刃の剣、と言うより、害悪側の刃のみしかない、恐ろしい剣である。
祭りで浮かれ騒いで酒をしこたま飲むと、酒に牙を剥かれ、何かしらの病気に陥ることは、これまでの経験で判明しているではないか。
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