こうして断酒ブログを更新することが、いつの間にやら私の日課になっている。
書くことは、酒や断酒について、その日にあったこと、思ったこと、考えたこと、家族からの意見や、断酒仲間からの情報など。
私自身は、今、全く酒を飲みたくない。第一、私は酔いたくない。あの、アルコールが徐々に脳に回って来て、次第に酔っ払って行く感覚を二度と味わいたくない。
酒に酔うと、私が私でなくなり別人格が出現する。そのことが十分に分かっているし、元の素面の自分に戻る時に味わう苦痛、つまり二日酔いからの帰還の激烈な苦痛を二度と味わいたくない。
なのに、否が応でも過去の飲み過ぎの不快さを思い出さざるを得ない出来事が、ここのところ割と頻度高く起きている。
それは何かと言えば、路上にある吐瀉物である。コロナ禍の緊急事態宣言にあって、酒類の提供が制限されてきた昨今、ヨッパライそのものの減少と比例して、道端の吐瀉物も激減していた。
けれども、ここ最近、酒類を提供する店が増えたからだろうか。段々と、夜か早朝かに、酒を飲み過ぎて、絶大なる不快を覚えたヨッパライの嘔吐物が、路上にあることが多くなった。
こちらは、そんなものは見たくもないのだが、普通に歩いているだけで、目に飛び込んで来る。そして、不愉快な気分になると共に、自分の嘔吐していた頃を鮮明に思い出すのだ。
自分もかつて、こんなことをしていた。酒を飲み過ぎて、道端で吐いたり、間に合えば公衆トイレで吐いたり、帰宅後、或いは家で飲み過ぎた時は、自宅のトイレに籠って吐いたりしていた。
今日で断酒も8年3か月ほどになるが、この間、吐いたことは一度も無いし、かつてのように胃が不快になったことも一度も無い。私の胃腸が弱ったり、不調になったりしていたのは、全て飲酒が原因だった。
何度も書いて来たことだが、酒を飲みながら食べるものは、ちゃんと消化されないし、気分が悪化して、胃から口へと逆流して、戻してしまうことも多い。
何とバカバカしいことだろう。代金を支払って、高価なモノを食べ、数時間後にそれを全て吐き出してしまうとは!
しかも、吐き出して終わりではなく、既に全身を駆け巡っているアルコールが、肝臓の奮闘によってすっかり解毒されるまで、不快な気分が続き、それだけで一日の貴重な時間を浪費してしまうのだ。
偶然目に飛び込んできた汚物について、このようなことを考察して見た、今日であった。酒を飲まない日常が、如何に自分にとって素晴らしい日々であるのかを、吐瀉物が私に再確認させてくれた。
私にとっては、どこかのヨッパライが吐き出した道端の汚物でさえ、偉大なる断酒の先生なのだ。
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