連日、暑い。電車の冷房は、コロナ対策の窓開けによって効きが良くない。
そして今日も、夏特有の、突然の雨。どこからか黒い雲が湧いてきて、青空を覆い隠し、いきなり降り出す。
この雨は、長くは降り続かず、熱せられたアスファルトを冷やして、気温を下げてくれる。
出先からの戻りの電車で、突然の雨に驚いたが、駅に着いて自宅へと歩き出したら、もう雨は上がっていた。
帰宅し、パソコンを立ち上げて、ネットのニュースをチェックしていたら、
「なぜ飲酒運転事故は厳罰化が進んでも起きるのか?」
との題の記事が目に付いた。
例え厳罰化の極致「死刑」にしても、飲酒運転は起きる。なぜなら、酒を飲むと酔っ払い、刑罰など意識しなくなるから。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) August 2, 2021
なぜ飲酒運転事故は厳罰化が進んでも起きるのか? 自分では気付きにくいアルコール依存の現実(47NEWS)#Yahooニュースhttps://t.co/i2eFn8nM22
そもそも飲酒運転そのものは、アルコール依存症であるとかないとかではなくて、車を運転する人が酒を飲めば、誰でもしてしまう可能性がある。酔っても車の運転は出来るし、車は指示通りに動く。
飲酒運転に関する刑罰を、どんなに重いものにしても、世に酒があり、これを好んで飲む人がいる限り、酔っ払って車を運転する人はいなくならない。
有り得ないことなので、架空の話だが、例えば「飲酒運転は死刑」と刑法が改正されたとしようか。
素面の時なら、飲酒運転で死刑になる。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
酒を飲むと、自分なら運転しても大丈夫。。ウィーッ((--*)(((*--))).oO,,ヒック!!
同じ人でも、酒が全く入っていない時は、飲酒運転など以ての外、そんなことをして死刑になるなんて有り得ない、と思うことだろうが、酒が入ると、アルコールによって理性が吹き飛び、飲酒運転の刑罰など忘れてしまう。
酒の恐ろしいところは、アルコールが本来のその人の人格を奪ってしまい、全く別の、本来の人に害を与える別の人格が出現することだ。酒に酔って出現した人格は、やりたい放題。
酒から醒めた時、アルコールに操られていた人格がやらかしたことは、本来の人格の記憶には何も残っていない。ある意味多重人格のようなものだ。
飲酒運転は、アルコールに操られた人格がやったことだが、酒から醒めた本来の人格が責任を問われることになるのだ。やらかしたアルコール人格は姿を消している。
同じ人間の中に二つの相反する人格(素面と酔っ払い)が存在すること。鳥肌が立つほどに恐ろしいことだ。
こうしたわけで、例え飲酒運転の刑罰が死刑になったところで、飲酒運転は無くならないことだろう。
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