昨年の9月に猪苗代湖で起きた、傷ましい事故の容疑者が逮捕された。
湖面に浮いている人たちの上を、大型のクルーザーが猛スピードで通り過ぎて、3人が死傷した。
丸1年間、犯人が特定されず、被害者の方は、怒りの向け先さえ定まらなかった。
この報道を見て、かみさんは言った。
「クルーザーに大人が10人も乗ってて、お酒飲んでないわけないと思うけどなあ。個人の船でしょう?」
確かに。
当時、この容疑者が酔っていたかどうかは、私には分からない。調べてみたら、法的には船舶の飲酒操縦も、もちろん禁止されている。
この容疑者の、「身に覚えがない」と言う供述に、強烈な違和感を覚えた。「身に覚えがない」からは、ヨッパライ犯罪者の常套句「酔っていて覚えていない」を連想したので。
自覚して悪いことをした場合、やった後で罪悪感に苛まれる。どんな犯罪者でも、良心の欠片ぐらいは持ち合わせているので、自分のやったことが悪いことであったと、心のどこかで後悔する。
ところが、泥酔状態で悪いことをしでかした場合は、そもそもその行為を全く覚えていないので、丸で濡れ衣のような反応なのである。
「自分には全く記憶が無いのに、やったのはお前だと言われても・・・」と。
泥酔を経験したことのある方は、このことは我が事として理解して下さるだろう。過度の飲酒によって大量のアルコールが身体に流入した人は、脳の大事な機能、即ち海馬が仕事をしなくなるそうだ。
それで、酔っ払っていた時の自分の行動は記憶されていないので、思い出せるわけもない。なので、覚えていないわけだ。
冒頭で書いた事件の容疑者が、事件当時酒を飲んでいたかどうかは、知らない。ここでは一般的に、ヨッパライが悪いことをした場合の罪悪感について書いている。
かつて、毎晩しこたま飲酒し、問題ばかり起こしていた経験があるので、ヨッパライの罪悪感の無いことについては、私はとても良く分かる。
例えば、息子の頭をとら刈りにしてしまったことがあるけれど、私には、それに関する罪悪感が無かった。確かに私がやったことは明白なのに、私にはほぼそのことの記憶が無かったからである。
息子には悪いことをしたと思いつつも、確かに自分がやったという自覚が無いので、罪悪感に結びつかないのだ。
昨日も書いたけれど、酒席での暴言は、吐いた側は全く記憶に無くても、受けた側は鮮明に記憶しており、傷は深いままで癒されない。
こうして考えてみると、酔っ払うことは、それそのものが罪である。
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