やっと、夏日から解放された。
連日の秋らしからぬ太陽は、姿を見せず、どんよりとした曇り空の一日だった。
ここ数日書いている、不飲酒についての子への教育の件。
色んな考え方があって良いと思うし、こうしなければならない、と言う固定観念的な対応は、危険だとも考える。
ここに書いていることは、飽くまでも私個人の考え方で、これまで実践して来たことである。結果的に、我が子に関しては、酒及び飲酒に対するしっかりしたスタンスを身に付けさせることが出来た。
適正飲酒を教える親もあるだろうし、ただ「飲み過ぎるなよ」くらいの親もあるだろう。でも、断酒人の家庭は、それで良いのだろうか。
子供に酒及び飲酒に関して、何をどう教えるのか、教えないのか。
自分一人が断酒成功しただけで、良いのか。酒を飲まなくなって、これまでの飲酒生活に感じたバカバカしさを、酒無しの人生の素晴らしさを、もっと多くの人と分かち合いたい。
それには先ず、一番身近な家族から。将来のある子供に、酒の真実を伝えること。
ここで、自分の子にどう伝えるか、何も伝えないか。
それは、断酒している人の考え方だと思う。子に自分の信念を分かってもらいたいのか、それとも世の中と迎合することを優先するのか。
信念を貫くことは、こと断酒に関しては、茨の道かもしれない。
迎合とは、
「自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。」
と辞書にある。
酒に関しては、迎合が一番楽ちんな世渡りだろう。
断酒は、信念を持っていないと、他人の目が気になり、辛い。どうしても、迎合を選びたくなってしまう。
確固たる信念の基にしている断酒は、他人の目など気にならない。飲みたい人は飲めば良い、自分は飲まないと決めたから、飲まない。ただそれだけだ。
酒及び飲酒に関して、酒にも良い点と悪い点があるのだから、飲むのか飲まないのかは、子供が大人になった時に自分で判断させよう、と言う考え方は、迎合に過ぎない(のかも?)。
信念を持って、自分の子には、酒の害悪であることを教育し、酒から離れて生きる道を教えてあげるのが、断酒を選んだ親の責務ではないか。
今の日本の教育では、酒の害悪であることを教えない、教えようとしないので、子供たちは、学ばない、学べない。親がきちんと酒の害悪を教えねばならない。
酒と無縁な日常を子が送ることは、親にとっても安心なことだ。酒によるトラブルは、人生を左右することが多々あるのだから。
学校や職場からの帰り道に、酒酔いによって、人生が狂ってしまうことがあるのも事実なのだから。
断酒に対する信念か。世の中に対する迎合か。
親としてどちらを優先するのか。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)