ここのところ、ずっと晴れて爽やかな日が続いていた昨今。
今日は、午後から雨の予報だったので、辛うじて太陽が顔を出していた午前中に、かみさんとウォーキングがてらの買い物に。
往路3kmくらい歩いて、目的地へ。野菜や果物などを買い込んで、復路はバスで戻った。
(冒頭の写真は、往路で撮影したもの。)
巷では、ボージョレー・ヌーヴォーが解禁され、スーパーマーケットには、それ専用のコーナーが設けられ、賑やかだ。
思い起こせば、私もかつてはワインも大好きだった。尤も、〇〇産の何とかワインなどと言う代物には縁が無く、ただ酔うために飲んでいた安物のワインだったけれども。そして、グラス1杯では終わらず、瓶1本を飲み干してしまうのだった。
ところがどうだろう。断酒以来、8年以上の時が過ぎ、酒を飲まなかった時間が私を、酒嫌いに、酒を問題視し、酒を憎悪するように変えた。
今では、自分の視界から酒が消えてしまっており、世間でどれだけ騒いでも、お祭り騒ぎになっていようとも、眼中に無い。
口に入るもので今ハマっているのは、野菜かな。キャベツ、白菜、大根などの定番のものの他に、八百屋ではあまり見掛けないもの、この時期だと、こぶ高菜、隼人瓜、ターサイその他。。。
野菜は、調理も楽だし、カロリーも高くなく、お腹の調子も良くなるし、ハマるには打って付けかも⁉
私が酒に関して興味を持っているのは、害悪についてなので、酔っ払いの引き起こす様々の事件事故については、視界にどんどん入って来る。
また、2日前に取り上げたように、現在酒の害に悩んでいる人について、とても心が痛む。特に、本人を取り巻く家族がアルコールの被害に遭っているケースの場合が、一番質が悪い。
すっぱりと止めてしまえば済むものを、酒の魔力に搦め捕られてしまった心は、酒から離れることを拒む。
それで、酒の害の矛先は、自分だけでなく、同居する家族へも容赦なく向けられてしまう。酒によって家族が崩壊して行く。
飲み物としての酒が、自分の中で一定の位置を占めている限り、断酒してからも我慢の日々が辛い。アルコールで酔う感覚は、容易くトリップ出来ることが即物的であり、その快楽は、魔力を秘めている。
ある程度の年月は必要だが、酒から離れて暫く経つと、酒が視界に入らないようになり、その内に消える。
視界から酒が消えると、生活が一変する。
酒を断った本人だけではなくて、家族の生活も一変する。
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