良く晴れた。そして、寒い一日だった。
明日は今日よりもっと冷え込んで、雪がちらつくかもしれない。
12月は落ち着きを見せていた新型コロナウィルス感染症だが、年明けから感染が急拡大を見せ、どうも第6波の兆しだ。
年末年始の報道で、コロナ禍の頃には考えられなかった、居酒屋での人数制限の緩和で、飲み会に集った人たちがニコニコ顔でインタビューに答えていたが。
これまでも、新型コロナウィルス感染症の波の度に、酒類提供の店が、先ずいの一番に規制のターゲットにされて来た。数日で感染判明者が倍増している現状を鑑みるに、またぞろ同じことが繰り返されることが見えている。
のんべー達は、また飲み会に集えなくなることを嘆くのだろうし、我が家の周辺で活気を取り戻した居酒屋も、また規制によって酒類の提供に制限が掛かるのかもしれない。
酒をやめてしまった私には、新型コロナウィルス感染症の感染状況によって右往左往する飲酒関連の風向きは、全く関係が無い。コロナ前もコロナ禍でも、こと酒に関しては、私の行動は断酒で一貫しているので。
コロナの動向によって、酒が飲めるとか飲めないとかで右往左往している人々を横目に、私は、そもそも飲まないので、すたすたと通り過ぎるだけだ。きっぱりと酒を断ち、酒と無縁になった今、それはそれはさっぱりとして清々しい。
酒と決別した心は、冒頭に掲げた、雪化粧の富士山のように、くっきりとさっぱりとしている。
酒を断たない限り、酒を飲める・飲めないで空回りして疲れてしまうことがあるだろう。酒と縁を切ってしまえば、飲まないだけなので、とっても楽。
のんべーは、外で飲めないなら、家で飲む。そしてついつい飲み過ぎる。今日も明日も、同じことを繰り返す。
自分が酒を断っていなかったら、今頃どんなだったのだろうと、日に一度はぞっとする想像をしてみる。そこには、よれよれになって、日がな一日酒を飲んで、廃人に限りなく近づいている自分がいる。
アルコール依存症も、軽度から重度まであるが、私の場合、あの頃の飲み方だと、どんどん重症化の一途を辿り、今頃死んでいたかもしれないし、生きていても、家族と離れ離れになり、入院生活になっていたかもしれない。
飲酒人生のある時点で、断酒に目覚めることが、如何に重要か。
そして、もっと大切なのは、断酒を実行し、継続すること。
酒からの離脱。これで、確実に人生の方向が変わる。
飲める・飲めない、ではなくて、私は、飲まない!
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