梅雨真っただ中の今日は、日中は曇天で夕方からざっと降り出した。
蒸し暑くて、外出して帰宅すると、いつの間にか汗だくになっていた。
朝方ちょっと野菜を買いに自転車で出かけた時に、近所のお寺に、
『鮎は瀬にすむ 小鳥は林 わたしゃ仏の中にすむ』
との文言が、鮎のイラストと共に掲げられていた。
お寺なので、仏様の教えの受け取り方を分かり易く説いているのだろう。
魚の鮎は川の瀬に棲むし、小鳥は林をねぐらにしている。それぞれの生き物が、それぞれ自らの居るべきところに居る。ならば自分は仏様の中に住んでいるのだ。
そんなような意味なのだと悟った。
それで、私はこれの後ろの部分を少し変えて、自分用にしてみた。
『 わたしゃ断酒の中に住む』
たまたまお寺で見かけた言葉から、断酒10年目にして辿り着いたのかも知れない、自分の心境に気付いた。この文言はなんだか、とっても私の心にぴったりとしっくりと来るのだ。
断酒の話が嫌いになったり、断酒断酒と殊更に強調したり騒いだりするのもイヤになった理由は、自分が断酒の中に住んでいるからだと、今日分かった。
つまり、断酒の中に住んでおり、酒を飲まないのが当たり前であるからして、わざわざ断酒絡みの事を語り合いたくはないのだ。
このブログを書き始めてから4年目の11月に行ったオフ会が初回であったが、あれから何度もオフ会を重ね、リアルに知り合った方々とは、今でも付き合いがある。
たまにLINE等でやりとりすることがあるけれど、断酒に関しての内容はとんと出ず、近況だったり、趣味のことだったり、仕事のことだったり、ペットのことだったり。
そう、私の断酒仲間の皆さんは、断酒の中に住んでいるのだ。なので、断酒が当たり前であり、殊更に語り合うこともない。
と、こんなところで、断酒の中に住む件については終わりにする。
冒頭に書いた野菜を買う件だが、東京の郊外に住むメリットが、その野菜である。一年を通して、何等かの野菜を無人販売で売っており、100円玉1枚で買うことが出来て、とても重宝している。
これからの時期、きゅうりは当たり前だし、ナスも暫くの期間必ず置かれている。これから、置かれる野菜の種類も増えて来る。
娘の大好きなきゅうりの糠漬けを、今年は数年ぶりに作ろうかなと彼女に朝方ちょっと言ってみたら、夕食時に、
「きゅうりの糠漬けできた?」
だって(笑)
おいおい!糠漬けの初回がそんなに簡単に出来るわけねーだろ!
と、まぁー、こう言ったわけで、地物野菜の恩恵に預かれるのも、私が酒を飲まないからである。
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