暦の上ではそろぞろ秋も深まって来る頃だが、まだ気温が高い。
気象庁の資料で平年の気温が日毎に見れるけれども、ここのところの最高気温も、平年を3度くらい上回っているようだ。
私は暑がりなので、今日もほぼ半袖で過ごしたけれど、外を歩くと、ダウンジャケットを来ている人もちらほら見かけ、びっくりした。
これだけ、夏を引き摺ったような中途半端な秋が続くと、早く木枯らしが吹いて、冬になってくれ!などと思ってしまう。木枯らしが恋しいなんて、これまで無かったような気がする。
木枯らしとは、晩秋から初冬にかけて吹く北風のことで、そのシーズンのそれを、気象庁が木枯らし1号と名付けて発表するのだそうだが、まだ報道では見ていない。
さて、昨日は、久しぶりに断酒ブログのランキングサイトを訪問したことを書いた。
そこに並ぶ様々な断酒のブログのタイトルや記事を見て、断酒に熱心だったころ(断酒後の数年)を思い出し、懐かしいと共に、今の断酒に対しての枯れた心境と比べて、ちょっと複雑な胸中でもあることに気付いた。
断酒に目覚めて芽吹きの春。
断酒がぐんぐん成長して夏。
断酒が自分のものになる秋。
断酒が当たり前になって冬。
私にとっての断酒の冬とは、断酒が楽で楽しいと感じた瞬間=断酒の木枯らし1号が吹いた時からだ。そういう意味では、今でも断酒に関しては枯れた冬なのかな。
私の断酒の木枯らし1号が吹いたのはいつだったのだろう。たぶん、断酒3年後くらいだったことは確かだ。
・‥…━━☆《10年前の今日》
10年前の時と全く同じで、今でもテレビは見ない。全然見ない。
ここ2年ほどになるだろうか、私の大好きなボクシングの世界戦なども、もう殆どテレビ放映は無くなり、ネットでの中継に切り替わった。なので、ますます私にはテレビが必要ない。
落とし穴や罠は、どこにでもある。それは、善意の顔をしており、一見美しいことが多い。それが必要かどうか自分で判断し、不要なものは排除しつつ、日々生活出来るようになれば、酒なんぞ怖いものではない。私は、テレビを排除することにより、酒を遠ざけることが出来ている。
テレビを良く見ている妻や娘に聞くと、今でも派手な酒のCMがバンバン流れているらしい。断酒直後の人の目にはまさにこれ、落とし穴であり罠になってしまうかも。
・‥…━━☆☆☆
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