昨日書いた、ダンシュ前とダンシュ後。
断酒前は、派手な飲酒生活。
断酒後は、地味な断酒生活。
断酒は地味にコツコツ。
飲酒は派手にドンドン。
これらの表現が合っているか、間違っているか。それは、読んでいる人がどう感じるか次第だが。
断酒は地味なものだ、と言うことは、以前に書いている。
地味にコツコツ、一日一日を酒無しで丁寧に生きる。断酒とは、たったこれだけのこと。それなのに、当初はとても苦しく、一体いつ光明が見えて来るのかと、焦る。
飲めばすぐに結果が現れて、自分を別世界に連れて行ってくれる、元の飲酒の世界に戻りたくてたまらない。
そのウズウズとした再飲酒の欲求は、数枚のコインを握りしめてコンビニへと向かえば、いとも簡単に満たされる。
そこで踏み止まってじっくりと考えてみれば分かることだが、もう一度酒を飲んで酔いどれに戻ってみたところで、現実は悪い方向へと進むだけだ。
コツコツと地味な断酒を継続している人は、ある日、自分の周囲が明るくなったことに気付く。全くの暗闇の中で足掻いていた自分に、光明が見えて来た。
黒を流し込んだ空間だったのが、どこかから微かに光が差し、薄暗くなり、ぼやっと見えて来て、更に輝度は増し、ついには白日の下に、全てがくっきりと見えるようになる。
断酒は地味だが、続けるとある日、とっても派手な、総天然色の周囲に気付く。
一方、飲酒は、続ければ続けるほど、自分を闇の奥深くへ押し込めて行く。
派手に酒を飲む人が多いけれども、それによって何ひとつ有意義なものを手に入れることは出来ない。
酒飲みは、酒にカネを浪費し、酒とともに生きて、酒とともに闇に沈んで行く。飲酒による闇は、途轍もなくどんよりと重たくて、断酒しない限り、ほんの少しの光明さえも見えて来ない。
ただ酒を飲まないでいるだけの生活は、シンプルで地味だ。時として、酒を飲んで、ワイワイと騒ぎたくなる。しかし、一見明るく見える酔っ払い生活だが、内実は闇の中での生活と変わらない。
地味に断酒を続けて、差して来た光明に気付き、感謝し、更に精進を続ければ、やがて自分の周囲は、くっきりと明るくなる。
飲酒は、オンライン飲み会でも、リアルな飲み会でも、ワイワイガヤガヤと派手である。私の醒めた目線で思うのは、集団で薬物を摂取し合い、ラリって話し合い、どこが楽しいのだろうか。
酒を飲み続けて廃人になるか、酒を断って真人間になるか。
廃人か真人間か。
あなたはきっと断酒を目指すことだろう。
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