人はおもしろい。
自分の断酒と他人の断酒を比べて、考え方、やり方の違いを指摘する人がいる。
そのことに意味はあるのかな😁
これまたあるSNSで、ある方に、私が日々のブログに断酒日数(○年〇日目)を書いているのは何故か、日を数えるのは無意味ではないかと言われた。
断酒日数を数えることの無意味さは、私自身良く分かっており、それを踏まえて敢えてカッコ内に記しているのにも関わらず、だ。
そのことは、もう随分前に、何度もブログに書いている。その方は、私の過去の記事は読んだことが無いのだろう。
私には断酒日数を数えることは無意味でも、このブログを読んで下さって、ご自分の断酒のよすがにされている方には、有意義のことも多いようだ。
(あぁ~、このブログを書いている人は、断酒してから〇年〇日経過してるのか。それでも毎日この断酒のブログを書いているのか・・・)
こんなような思いで読んで下さっている方がいらっしゃるようだ。
私がどのような思いでブログを綴っているか、その真相を知らずに、ただブログの見た目だけで感じた疑問を投げかけられても困る。
実際のところ、断酒など・・・
私は今断酒している。あの人も今断酒している。
ただそれだけのこと、それだけで良いではないか。
その辺りの、私の断酒に対する考えは、以前に書いた次の記事にあるとおり。
私は他の方の断酒を全て認め、受け入れる。私との考え方ややり方の違いがあると、それがとても興味深い。
ほほ~。この人は、こんな考え方で断酒しているのか。こんな方法で断酒しているのか。随分と私とは違って、おもしろいな~、てなもの。
酒を断ち続けるために、何か儀式のようなことをしている人もいるだろうし、断酒のために願掛けしている人もいるだろう。
自分とは違うからヘンだとか、無意味だとか、他人の断酒に横槍を入れることに、それこそ何の意味があるのだろうか?
人生も生き方も断酒も、三者三様、十人十色、百人百様、千差万別、多種多様。
詩人・金子みすゞの「みんなちがってみんないい」が、私たち断酒人ひとりひとりにもぴたりと当てはまる。
なのに、自分の断酒がうまく行きだすと、他人の断酒が気になる人がいるようだ。
その場合、仲間として励まし合うのなら良いが、茶化したり、自分とは違う点を執拗に指摘したりするのは、ダメだ。全く意味が無いどころか、害悪である。ナンセンス!
真の断酒仲間は、ただ、お互いが酒を飲んでいないことを認めて、励まし合うだけである。
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