アルコールと脳萎縮の関連については、過去に書いた自分の記事を検索すると、何件もヒットした。何度も何度も書いている。
色々とアルコールの害を学んだ中でも、私が一番恐れたのは、「アルコール性認知症」である。これは、文字通り、過剰摂取したアルコールが原因となって、認知症を発症するのである。詳しくは、過去記事
あたりを参照して頂きたい。
断酒初年度は、毎日のように、酒害を丹念に調べては、ブログにUPしていた。この努力が実って、今や私の頭の中は、酒害情報が満載である(笑)
ところで、検索サイトで、「アルコール 脳萎縮」とキーワードを入れてみると、とんでもない数の情報がヒットする。2年前に私がブログを書く時に調べた時よりも、格段に情報が増えている。
唐突ながら、ここで、警句を一句。
『飲むほどに 脳は縮むし 身も縮む』
(のむほどに のうはちぢむし みもちぢむ)
私が酒害を調べた中で、一番我と我が身への恐怖は、脳へのダメージだった。物理的に脳が委縮し、アルコール性認知症を発症すること。長い期間酒を飲んでいる内に、その飲んでいる自分自身が誰だか分からなくなってしまうかもしれないのだ。
この、酒を飲んで酔っ払っている人間は一体誰なんだろう?どこのどいつがこんなに酒を飲んでいるんだ?などと、自分自身を認識できなくなることに、途轍もない恐怖を感じた。
先日、野の百合さんとのコメントの遣り取りで書いたのだが、私は「適正飲酒」と言う言葉自体が、飲酒を正当化するためのまやかしだと考えている。そもそもアルコール(エタノール)は人体にとっては毒である。毒に適正量は無く、あるのは、許容量だけだ。許容量を超えると、致死量になる。
許容量とは、放射線や有害物質などで、人体に危険がないとみなされる最大限の量。
致死量とは、死に至らせるのに十分な薬物などの量。
先日も記事に書いたが、一気に飲むと急性アルコール中毒で死に至る飲み物であるから、酒には致死量がある。と言う事は、酒には、人体に危険がないとみなされる最大限の量、つまり許容量もある。これのことを、適正量などと言い換えているわけである。
この許容量と致死量のはざまは、個人個人全く違うだろう。Aさんは3で、Bさんは10で、Cさんは100かもしれない。そこが危険なところである。同じ量を一気飲みしても、死に至る人と、命を取り留める人がいる。
飲んだ人の体に危険がない量であっても、その人の酩酊状態によっては、アルコールによる脳の麻痺が原因の事故で死に至ったり、或いは、全く無関係の他人を死に至らしめることがある。
因みに、脳の委縮が起こらない飲酒量の目安としては、1日当たり酒1合だそうだ。ビールなら中瓶1本、ワインならグラス1杯、ウィスキーならダブル1杯、缶酎ハイならロング缶1本、焼酎なら0.6合。
こんな微々たる(!?)1合換算の量を飲むだけで、毎日ピタリとやめられる人って、常習的に飲酒している人の何%なんだろうか。
『酒断てば 脳も躍るし 身も躍る』
(さけたてば のうもおどるし みもおどる)
※躍る → 喜びや期待などで鼓動が激しくなる。わくわくする。
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